南 方
+++ 南の方は血沼海 +++
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●淀川河川公園
 南方駅を出て、新御堂筋沿いに南へ歩くと、すぐに淀川に行きあたります。その広い河川敷は新淀川大橋をはさんで、上流側は野球のグラウンド、下流側は広々とした公園になっています。下流の公園の方に出ると、空間のその広がりは都会生活ではなかなか見つけられない大きなものです。水平には淀川の広がり、垂直には大空の広がり、ゆったりとこの大空間につつみこまれながら歩くと、しばらくは何もかも忘れて、気持ちがやわらかくなってきます。

淀川河川公園
■淀川河川公園
●正通院
 淀川河川公園を600mほど進み、堤防に上がって信号を右に折れて行くと、正通院があります。
 江戸時代の中頃の延享3年(1746)に建てられた曹洞宗のお寺。大坂出身の画家、蔀関月という人の墓がこのお寺にあります。この人は「伊勢参宮名所図会」「山海名産図会」「近江名所図会」などを描いており、和漢の古蹟を研究し、法橋上人位という僧位を与えられています。この僧位は、当時、医師や画家などにも与えられていましたが、明治6年(1873)に廃止となっています。

蔀関月(画家)の墓
■蔀関月(画家)の墓
●血沼海(ちぬのうみ)
 南方という地は、「古事記」の中つ巻・神武天皇一・東征に次のように出てきます。
南の方より廻りいでましし時、
血沼海に到りて・・・
 古代、ここは河内湖と血沼海(茅渟海=いまの大阪湾)をつなぐ水路の南方の岸であったとされます。かつては低湿地が広がり、水田地帯であったそうです。住宅が建ちはじめたのは、第二次大戦の後のことで、昭和39年(1964)、新幹線が誕生し、新大阪駅がつくられてから、次第に今のような都市に変貌していきました。
●新大阪ゆめっせ
 正通院を出て、木川南小学校を右手に見て、次の角を左へ行き、阪急電鉄京都本線を越えて北へ進むと木立が美しい西町公園があります。公園を出て、JR宮原操車場の下の長いガードをくぐり、新大阪ゆめっせ(新大阪センイシティ)へ。約300店の繊維問屋があり、ここの周囲にもほぼ同数の繊維問屋が軒を連ねています。卸値で小売をする店も多く、大特価などで掘り出しものが見つかることもあるそうです。

新大阪ゆめっせ
■新大阪ゆめっせ
●メルパルク
 ここは、結婚式場、劇場ホール、レストランなどがあり、地下のレストランは意外にリーズナブルで、接客も気持よく、お茶だけ飲むこともできます。
 ガラス屋根の歩道橋を通って、さいのき神社へ。ここには、日光、首無、辻と3つのお地蔵さんも祀られています。

メルパルク
■メルパルク
●光用寺
 護国山光用寺は、天平19年(747)行基が建てたと伝えられ、行基の作といわれる阿弥陀如来像が本尊です。
江戸の昔にはサツキの名所でさつき寺と呼ばれていました。

光用寺
■光用寺
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