北千里
+++ 隠れた歴史の街道を行く +++
悠遊一日紀行マップ 悠遊一日紀行道程表

●千里北公園
 駅を北へ500mほど行くと、広大な千里北公園が広がっています。入口からしばらく行くと、空に高く伸びた時計塔「銀の鳥」が目に入ってきます。その向こうには、蓮間ケ池が静かな水面を見せています。
 公園内には、吹田市自然体験交流センター、市民体育館などがあり、緑豊かな自然に満ち、季節ごとに樹々や花々が目を楽しませてくれます。また、野鳥や昆虫などが多く生息しており、池には渡り鳥が多くやって来るそうです。

千里北公園
■千里北公園
●国立循環器病研究センター
 公園の北は、北千里高校、その隣りが国立循環器病研究センター。現代医学の粋を集めた世界的規模の治療研究を行っているところです。
 しばらく北へ歩いていくと国道171号線の今宮の交差点につきます。ここをを渡って、およそ500m北に行くと為那都比古神社があります。
●旧西国街道
 今宮の信号の手前、柳谷観世音菩薩碑を左に曲がった小径が旧西国街道。さらに進むと、しばらくは旧街道がゆるやかに蛇行します。国道171号線の騒々しさがなくなり、ひっそりとして、ゆっくりと歩いて行けます。
 国道171号線が新御堂筋と交差するところを過ぎて左へ曲がると、また蛇行した細い道を進むことになります。
 善福寺に寄って、萱野三平の旧邸へと向かいます。

柳谷観世音菩薩碑
■柳谷観世音菩薩碑
 
旧西国街道にある地蔵尊
■旧西国街道にある地蔵尊
●萱野三平旧邸
 萱野の地に生誕した三平は、父重利の主人である大嶋出羽守の推挙によって、13歳の時、播州赤穂の浅野家に中小姓として仕官します。
 芝居の「忠臣蔵」では早野勘平で知られる人物。元禄14年(一七〇一)浅野内匠頭が江戸城松の廊下で、吉良上野介に刃傷事件を起こし、それを江戸から赤穂まで早駕籠で昼夜走り、国元に知らせたのがこの人です。
 仇討ちの一党に名を連ねましたが、大嶋家へ迷惑が及ぶことを恐れた父の許しが得られず、元禄15年1月14日、自宅長屋門の一室で自刃し、27歳の生涯を閉じたのです。
 帰りは途中、江戸時代に禁止等のお触れ書きを掲示された「芝村の高札場跡」の横をとおり、芝西停留所から阪急バスに乗ります。千里中央停留所で乗り換えて駅まで戻ります。

萱野三平旧邸
■萱野三平旧邸
オプションポイント
為那都比古神社

この神社には、為那都比古大神、為那都比売大神が祀られています。延喜式神名帳に摂津国豊島郡五座の内に為那都比古神社二座とあり、1,000有余年以前から鎮座まします古神とされています。通称萱野大宮、祭神の二神は夫婦神。仁徳天皇のころ、県主に任ぜられた豪族たちが治めたこのあたりの氏神として祭祀を行っていたようです。かつては二座同殿でまつっていましたが、宇多天皇の寛平年間(889〜898)に別殿にまつられ、明治の末にまた合祀されました。天正年間(1573〜1592)に織田信長が高山右近に命じて、摂津一帯の神社、仏閣を壊そうとした時、牛頭天王と名を変えて、まぬがれたと伝えられています。
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